文字を操ることが好き。
文章を綴るという行為は自分にとって癒しの効果があるように思う。
癒しという表現はあまり好きじゃないけど、少なからずカタルシスを得ることができるんだよね。
それがたとえ、文句書いてても。
それは、自分の内面を晒すといったあからさまな内容のものである必要はなくて、ただ言葉を紡いでいくだけで気持ち良いと感じている。
自分の脳内の出来事や現象を現実に焼き付ける感じ。
脳内っていうのはつまり、自分の中身のコト。
露出行為ともいえるのかも。
脳内露出癖のわたしは、考えたコトや妄想風景を露出すると気持ちよくなれるらしいのよね。
やや変態。
ただ、だからといって文章力があるということではないので、常々もどかしい思いをしている。
脳内をちゃんと露出できていない感覚が必ず残るからね。
なんだかイキきってないなぁと感じてしまう。
はたから見ればどうってことない単なる日記でも、吐き出す快感を実は感じているんだよね。
そして同時に感じる残尿感が、次の文章を書く理由にもなっている。
他人の文章は他人の脳内露出なのかな。
他人の文章を読むのも好き。
これはかなりエロティックな意味合いで好き。
内面吐露の日記でも創作された小説でも、その人が書いたものはその人の脳内を映し出したものに思える。
まあ、わたしなりの妄想だな。
それは判っている。
でもそれがわたしの愉しみなので許してください。
文章に対する好みがちゃんとある。
嫌いな文章というのは滅多にないけど、好きな文章はとことん好きになる。
微妙なのは、書いている人をとことん好きになるという感覚ではなく、書かれた文章が好きというコト。
結局、脳内と文章をイコールで考えているのだから、その書いた人そのものを好きだといえそうなもんだけど、どうもそういうニュアンスではないんだよな。
というか、人の輪郭をどう捉えるかが微妙に違うといえばいいんでしょうか、ええと、ややこしくなってきたな……。
その人を特定する必要最低限の材料が、いや、その話をし始めると長くなる上に余計にややこしくなるぞ。
嗚呼。
こうしてまた残尿感を感じてしまうのだった。
そういったわけで、わたしが読者登録しているブログは、脳内の覗いている感覚で楽しんでいる。
多くはこまめにチェックしたりはしてないんだけどね。
あなたは知らず知らずのうちに、自分の脳内スクリーンをわたしに盗み見られているかもしれない。
果てしない妄想と想像の燃料としてね。