駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

変化と拒絶の問題

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身の回りで起こる変化は程度の差があるだけでなにげない日常の出来事。

自分が何かに触発されて緩やかに変わって行くコトもあれば、衝撃的な出会いが急激な変化を自分に引き起こさせるコトもある。

 

まあ大抵はそんな劇的なコトなど殆ど無くて、日々の小さな積み重ねが貯まってきてある臨界点を超えた時に「変化」として認識出来るようになるってケースが一番多いと思う。

 

変化すると良いコトもあるし悪いコトもあるよね。

 

こういう変化は良い方向のコトばかりだとそりゃあイイんだけど、良くない方向の変化というのも知らずに日々積み重ねてしまっているコトだってある。

自分の言動や行為が、知らずに良くない変化を起こす為の種となっているわけよ。

でそれに気づかずにいたために、そうと認識出来る程度に迄積み上がった時はもう遅い、みてーな。

 

経験あるでしょうよ、あなた。

 

結局は、自分のしたコトが全て自分に跳ね返ってくるという因果律から逃れる事はできない。

気づかずにいようがいまいが自分の身の回りに起こる変化は自分を映し出す鏡のようなもの。

 

自分の立場は自分で作ってるのだね、ことごとく。

 

誰も自分が可愛いので、できれば良くないコトが起こった時の原因は外(他者)に求めたくなるものだよね。

ただ、残念ながら良いコトも良くないコトもやはり自分が作り出した因果の結果。

他人に原因を求めて攻撃している暇があったら、自分の行動を軌道修正するコトを真剣に考えたほうがいくらかマシだと思うんだ。

 

変化との付き合い方はユルめがいいと思うんだよね。

 

変化に対してあまり真摯に向き合い過ぎると、過度に疲れるとコトもある。

変化の程度や頻度にもよるけど、変化っていうのは往々にして予定外の出来事足り得るものでしょ。

そういうケースには少なからず何かしらの対応が必要になるわけだし、いつでも変化を手放し歓迎出来る訳ではないよね。

 

というか、殆どの場合変化を嫌うコトが多そうね。

 

安定や無変化を是とする考え方。

どうもわたしとしてはそういう保守的な考え方に対してネガティブな印象を持ってしまう傾向があり、「終わっている」状態だと思えてしまう。

いや保守的かどうかだけでいうなら、わたしはかなり保守的なんだけどね。

なんつーか、マインドセット的な?

 

楽(らく)したいと思っているのに、楽できる状況に靡いて行く様を見ると不快感を感じてしまう、面倒な人間なのよ。

 

無くしたものと手にしたものが等価であればいいや、なんて思えないんだよね。

何かを無くす以上は、倍付けで取り返さないと割が合わないと、無意識的に思ってしまっている。

 

しかしまあ、こんなコト考えないほうが人生気楽でいいなーとは思う。

もっと変化するというコトにダラシナク付き合っていくのがいいんだよ、きっと。

 

変化は毎日の日常そのもの。

 

一秒前の自分は今の自分とは既に違うのに、10年前と変わらない部分も自分の中に残っていたりもする。

 

変化を繰り返してわたしはどんどんマイナーバージョンアップしていくの。