駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

不都合

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ネット上で死ぬコトは実に簡単。

ただアクセスしなければいいんだから。

書き込みを残すなどの、具体的なアクションを起こさないだけでも死ねる気がする。

具体的にいえば、わたしがこのブログを全く書かなくなって3ヵ月もすれば、このブログでのみわたしという存在を認識している人にしてみれば、死人と同然になる。

 

オンライン透明人間

ブログ以外でわたしに直接連絡をとる手段を持っている人にしてみればあまり関係の無いコトだけど(その連絡さえも無反応を続ければ死人になれる)、ネット上における存在感は明らかにアクションの結果のみでしか示しようが無いよね。

 

facebooktwitterに登録せず、オンラインゲームにも登録せず、ブログも書かず、誰かのポストにカキコミもせず、ツイートせず、ただ閲覧するだけのスタイルを貫き通せば、現実ではあり得ない「存在しているが全く見えない」っていう透明人間のような存在になるコトができる。

 

少々魅力的な性質。

 

1990年代以前は今ほどインターネットが生活に浸透していなかった。

それを想うとネットにおける透明人間であってもなんら問題ないはず。

今となっては心理的にはネットに接続していないという疎外感や喪失感を弱冠感じるかもしれない。

が恐らくは直ぐに慣れる気がする。

 

ただし、TVのコマーシャルでさえ「ネットで検索」という言葉を容易く流す時代ではあるので情報としてネットの存在を遮断するのは難しそうかな。

そこで能動的なアクションだけを徹底的に起こさないという手段をとったとして、どれ程の不都合が起こり得るのかな。

 

アンプラグドのストレス

まず思いつくのは発信の欲求を満たせないというストレス。

これはわたしがブログを続けている一番の理由であるから、いきなりなかなか大きな問題。

 

とはいえ。

 

ネットという手段以外で発信欲求を満たす可能性を吟味したコトは今まで無く、実は2017年だからこそ価値のあるローカルでアナログな手段というモノも、もしかしたら存在しているかもしれない。

 

今更ながらペーパーメディアのみで駄文を排出し続ける行為は少し面白そうではある。

すごく手間かかるし発信対象せまくなるけど。

元々超絶多くの人々に読んでもらいたいという欲求はさして強くないのでそこはまあ、クリアとしよう。

 

次に、SNSなどで成立しているコミュニケーションが取れなくなるというストレスなんだけど、これはあまり重要ではない。

何故なら本当に自分にとって必要なコネクションは、ネットなどを介さずともコンタクト可能な手段をとっくに確保しているはずだから。

 

住所とか電話番号とか教えてるよね。

 

次に大きそうなのがネットでの繋がりを発端とした新たな人間関係やコミュニティの構築が出来なくなるストレスで、これは明らかにその他の手段では補完出来ないような気がする。

これ程迄に対人障壁を乗り越えるハードルが低い手段が他にあり得ないと感じるからね。

 

この部分を他の何かで補うのはなかなか難しい問題で、補おうと思わないコトにするという解決手段くらいしか思いつかない。

まあそれでもいいかリアルの人間関係が充実してるコトだし、ってことにしておこうかな。

 

と、無理矢理だけどネット上で死んでもあまり問題が無いという理解を自分に強いてみた。

 

ネット上で一旦死に、透明人間としての振る舞いを。

いやいや、まだまだ文句を垂れ流したいから当分無理だな。