駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

妄想とわたし

f:id:sara_pezzini:20171107133409j:plain

だらだらと妄想に浸るのはいつにおいても、贅沢にしてお金のかからない娯楽。

子供の頃は「学び」と「経験」がするコトの大部分で、更に妄想するコトは特権的に優先されていた。

 

あれやこれやと想いを巡らせ何かの結論に至るも、その詳細を伝えるには語彙も作法も足りない。

もどかしい思いで腹の底に積み重ねていた。

 

自分なりに浅はかな真理を見つけた気分になるのが心地良くて、飽きるコト無く妄想の世界に潜り込んだもの。

何度もそういったコトを繰り返していると、妄想の種類にもある傾向が生まれてその中でも特に気に入った傾向を見つけたり。

 

気に入った妄想に浸るのは誰の迷惑でもなければ何かを浪費する訳でもない。

だのに、まるで利用回数が決まっているような気がしていたのか、出し惜しみをしてなかなか意識の表層に取り出そうとはしなかった。

特別な機会にのみ頭の中に広げるようになった。

 

妄想にも自分なりの決まりと作法があったんだ。

 

さて自我の記憶が積み重なった今でも、妄想遊びは続いている。

しかし頻度は低下したし目新しさも薄らいだ。

 

ごくまれにこれまでとは違う閃きを得て悦に入ることもあるけどね。

それを記憶にとどめるコトは以前程簡単ではなく殆どの場合忘れ去ってしまう。

 

妄想にこそ価値がある、創作性を求められる職種を選んだというのに。

 

日々において心の余裕や精神的なゆとりがあって、つまり内面が豊かな状態にあると、頭の中も豊かな柔らかさを保てるらしいんだ。

 

頭の中が硬化すると、決まりきった出来事や数字などしか存在出来なくなる。

これはもうすっかり人として面白くなくなっている危険な状態よね。

 

時折自分がそうなりかけている気がして総毛立つような感覚に陥る。

ただ「そうであるかもしれない」と気づいている間は大丈夫だろうって、楽天的な考えに至ると安心できる。

 

これはこれで実に自分らしいと思う。

 

お金のかかる楽しみばかりを享受するようになってしまったとしたら、人としてすっかり面白くない。

愉しみは自分の中にこそある妄想や想像だと思い出したのだから、自分は面白い人間に少しは戻れるような気もする。

 

青や黄色の原色が飛び交う子供じみた想像、ピンク色に艶めく妄想、残虐で血腥い妄想、すべて自分を構成している重要な要素。