駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

感想戦

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第三感謝記事に対して、興味深いコメントをいただいた。

ここでは、ご本人の確認をとらないままに、このコメントの感想戦を行う。

 

行う。

 

bougen.hatenablog.jp

「超えさせていただいた」と書くと、謙譲語というものの性格上、主語がサラさんであるように聞こえると思います。だから内容的には「私が(自分の力で自分の体を動かして)300を超えた」という話になり、むしろ少しも謙虚に響かなくなる気がします。

この「させていただいた問題」に注目した彼の目線が嬉しい。

実はわたしも日々この「させていただいた問題」には心惹かれていたの、いやそういうロマンテイックなニュアンスじゃないな、はっきりいえば「苛立ち」を感じてたの。

 

わたしは日常生活において空気になるコトを信条としている都合上、敬語の使い方には細心の注意を払っている。

もっとも嫌いな「会話」においてはもちろん、仕事上のメールやチャットなどでも、脳内HDD(←旧式)をフル回転させている。

そこでわたしが意図して避けているのがこの「させていただく」表現なの。

 

なんで避けるのか。

 

それは、あまりに誤用している人間が多いコトに対するアンチなアティテュードを密かに示す為。

 

「では着荷後、ご確認いただきまして特に問題ございませんようでございましたら、原本をお送りさせていただこうと存じます。」

 

お前は公家か。

いっそ、「いただこうと存じたてまつりさうらふ」とかまでイけばいいなと思う。

 

わたしはそんな時、語調や声の雰囲気、それまでの会話といったコンテクストから謙譲の意思が伝わりさえすればいいと思っているから、言葉そのものはシンプルにするコトが多い。

このコトの効果はわたしにとって絶大で、こちらの敬語レベルに相手が合わせてくれるようになり、互いの発語量が各段に減るんだよね。

 

 

この効果がサラさんの「狙い通りの演出」であるならば、それを読み取れなかった私の負けなので、ほっといてください。

さて、そうしたコトを日々無駄に考えるわたしなので、今回「させていただく」表現を、わざわざ意図して使ったのね。

狙いたかった演出意図は「調子に乗ってる」コト、そうズバリなのよね。

正直いえば300PV/日は、はてな界隈の人々からすればどうというコトのない小さな一歩なんだけど、ちいさな成果に喜んで調子に乗っているいる様、を演じてみたくなった、って感じ。

念の為書くけど、感謝の気持ちは演出ではなく素直に感じている。

 

ただこのコトは、これまでのわたしの散文から読み取れないと思う。

だからあなたは負けではなく、むしろただ一人たどり着いた人なんだ。

 

 

ただ、自分の力でなく他の人の力でPV数が300を越えた、ということへの感謝を素直に謙虚に「他の人」に伝えようとした場合、それならどう書けばいいかというと、意外と難しいことに気づきました。

ここはわたしも早い段階で諦めた、というか方針変更したベクトルなんだよな。

言葉を足すか削るか。

 

 

「PV数が300を超えてくれました」というのが一番シンプルかと思いましたが、これだと「PV数」が主語なので、やはり300を超えたのはPV数自体の手柄であることになり、「みなさまへの感謝」は後景化してしまいます。「みなさまのおかげでPV数が300を超えてくれました」みたいに書いたとしても、「ウチの子はもともと優秀ですから」的な鼻につくニュアンスが残ると思います。

わたし的思考でいるなら、シンプルな言葉ほど意味が伝わった時に心に残ると感じているので、ただ「ありがとうございます」だけでいい、ってコトになっちゃう。

 

ところがわたしは、脳内多動というか思いついたコトが次々とトランスフォームしていくタチなので、ついつい違う意匠を追加してみたくなっちゃったんだ。

 

つまりどういうコトか。

 

感謝記事を重ねるたびに、だんだんと増長して無軌道無遠慮無分別に偉そうになっていく連作、という仕掛けを思いついちゃったの。

 

 

「PV数」は「サラさん」の「子ども」なのかという新たな疑問が生じますが、飛ばします。

あ、ここはスルーなのね、はい。

 

 

従って「みなさまへの感謝」を伝えるためには「みなさま」を主語にするしかないのだろうというのが結論です。その場合、「正解」は必然的に「みなさまの力が、私のデヰリー·ペヱジ·ビユウに、300を超えさせてくれました」という形をとると思う。

この「正解の文章」から私が受け取った印象は「陳腐だ」というものでした。

そう。

わたしはわたしという人格を完全にコントロールしていいと神様にいわれた責任上、ある程度の行動指針を示す必要があった、ってコトにするじゃない。

でその行動指針っていうのは、「すべてを演出する」ってコトにしたわけ。

 

これは「すべては演出であり嘘である」って意味じゃない。

単なる事実に「自分らしさを追加して表現する」ってのが割としっくりくるかな。

ただこのコトも、他人から必ずしも認識される必要はないと思っていて、自己満足で充分だな、っていう感じなんだ。

わたしの心はわたしにしか判らないのだから、わたしだけが知っていればいい。

 

今回はそんなわたしの密かな行動指針にフックしてくださった方がコメントまで残してくれたので、こうして作文に至ったわけね。

これは予定になかった楽しみになったので、とても嬉しい。

ありがとうNagiさん。

 

 

そして「感謝の言葉」というのはその性格上、どんなに工夫しても「自慢」にしか響かない時があるのだなということに、気づかせて頂きました。

自慢、が目的で合ってる合ってる。

一回目の感謝記事を書いた時は、そういう意図はなかった。

ただ感謝の気持ちが沸き起こったので書こうと思って書いた。

 

でも第二回感謝記事を書いている時に、なんだか楽しくなかったんだ。

感謝の気持ちはあるのに、それを表現すると意外に楽しくなかった。

 

そこで私は、思いついちゃったんだ。

感謝記事を、だんだんとそのニュアンスを変化させていく連作にしようって。

時を隔てて発表される連作、というものに以前から憧れを持っていたの。

 

例えば。

 

突然新エピソードが発表された(40年ぶりだって)「ポーの一族」とか。

 「エルガイム」から「ファイブスター物語」に続く一連の永野護ワールドとか。

根本的な話の決着に乗り出したリドリー・スコットのエイリアン・プリクエルとか。

同じくリドリー作品を見事に昇華させた続編「ブレードランナー2049」とか。

終わらなかった名作「グインサーガ」とか。

 

ただ、こうした構築美を生み出せるほどの器をわたしは持っていない。

だから、感謝記事というテーマでうっすら変化していく人格を演出するってアイデアは、丁度身の丈に合ってるなと思うんだよね。

 

 

いずれにしても先般の技術的ご指導に対し、私ができるお礼といえば、こんなものです。

ありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

おかげで誰にも話していない、わたしの秘密を告白するコトができました。

 

この文章によって感謝記事が今後どうなっていくのか、わたしも判らなくなったので、もっと楽しくなったな。