駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

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ああまただ。
わたしは自分の心の在り様っていうヤツに対して、かなり鈍感なのだ。


想えばわたしは自分の肉体に対しても、鈍感だ。

若かった頃、わたしは食事が大嫌いだった。
食べるものをただ口に運び入れ、咀嚼の運動を繰り返し飲み込むコトに、なんの意味も見出せなかった。

 

中学生の頃などは、自分がおなかが空いているっていう状況を理解できていなかった。

毎日昼前くらいになると胸やけがして胃がねじ切られるような不快さを感じて、絶対に自分は病気だと確信していた。

 

でも数年後、それはただ空腹だったのだと気がついた。

 

今では食事の楽しみ方を知ったけど、もし何か技術的な革新が起こって食べなくても生きていられるといわれたら、進んで試してみたい。

 

食事が嫌いということは生き物としてイビツなわけだから、弱い個体だと思う。

 

そんなわたしだから、やはり心についても自覚できる範囲というのが狭い。

いや狭いらしい。

これは他人Bにいわれたコトをそのままいっているだけなので、なんとも心許ない。

逆に、自分の心の在り様を自覚できている状態が、まったくもって想像できない。

 

学習した、という意味での想像は確かにしている。

周りの状況や、前後関係、文脈から、自分の心がどんな状態にあるのかを、経験的に想像するって意味でね。

 

いずれにせよ、多くの人達に備わっている心のアラート機能が、私の場合は不完全なのだそうだ。

 

この告知が行われた時からさかのぼるコト5年ほど前に、その機能不全の原因となったらしい出来事が発生し、5年間わたしはその出来事の中心あたりにいた。
他人Bく、この期間にだんだん変化していったのだろうというコトだったんだけど、実際に「その時」に戻るコトができない以上、どこまでいっても想像であり可能性が高いだけ、なんだよね。

 

当時わたしは、4時間睡眠+16時間労働という生活をしてて、心の変化も肉体の変化も感じていなかった。

毎朝歩いて仕事場にいっていた。

 

ある時、半ば強制的に他人Bの元にいくコトになった。

そこで展開されるわたしの心の在り様の話は、まるでリアリティがなかった。

かといって否定するような材料も手元にはなく、なんとなく納得する形になる。

 

ただ、いよいよ体が動かなくなり肉体の変調は思い知る。

流石にいくら鈍感でも動かないとオヤって思う。

目に見える分、触れる分、肉体は判りやすいなと思った。

 

わたしはダメ人間なので、いつかあなたに不快な思いをさせてしまうかもしれない。

根拠はないの、経験上の類推というヤツ。

色々を経験してわたしは自分本位に生きていくと決めたけど、大切な存在は大切。

 

迂闊に扉を開いたから太陽に怒られたんだろうか。

 

心の在り様は、わたしは見えない。

見えなくても感じるコトはできるといった人がいたけど、すげーなって思った。

 

久しぶりに唇がじんわりする。