駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

だらだら書くとこうなる

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今更ながらフリーミアムのコトを考え直した。

2010年以降何度も自問自答して何度も同じ答えにいたった案件。

 

無料は悪なのか?悪ではないのか?

 

そしてまたわたしは、同じ問いを自分に投げかけた。

考えたコトなんかを思いつくまま書いてみようと思う。

先にいっておくけど、別に役立つ情報は含まれないと思うので悪しからず。

 

先ずは良いか悪いかの話を書こうとは思っていない。

現状はこうだよねという話。

 

現在世界を今尚どんどん繋いでいるインターネットっていう情報空間において、無料で提供されるサービスはとても多い。

これは今更論じるのが馬鹿馬鹿しい程に圧倒的に多い。

 

元々サービスは眼に見えにくいというか物質化しにくい特徴もあって、価値を貨幣価値に変換するのがやや難しい。

 

大根やジャガイモの価格を決めるコト、そしてそれを売るコトと、10分間人の肩を揉む価格を決めるコト、そしてそのサービスを提供するコトとは、納得度を汎用化する難しさが、全然違う。

 

しかし難易度の差はあっても、大昔から人はサービスの価値を可視化してきた。

 

物を運ぶ行為などは判りやすい例かな。

誰かに頼まれたお使いの、距離や重量によってサービスの程度を定義して、双方納得した対価を支払うor得る。

 

まコレはいいよね、判りやすい。

 

デジタル商品は、正確にはモノ化されてないので半分サービスのような変なシロモノだけど、昔は目新しさも手伝って商品価値を維持出来たんだ。

 

ソフトウェアを板(ディスク)で買うとかの方法で。

 

信じられないかもしれないけど、昔はブラウザもメーラーも翻訳ツールも辞書ツールも、全て板で販売されていた。

 

インターネットが世界を覆い尽くす以前はなんとなく成立していたこの価値観が、1995年を境に一変した。

 

windows95の爆発的普及によってネット回線を通じて様々なソフトウェアが無料で入手可能になった。

窓の杜vectorのお世話になった人も多いでしょ。

 

というか。

 

ネットに触れたコトがある人の中で、まず誰もが通過するサービスが無料で提供され続けている。

 
今更ドヤ顔もできない常識よね、googleの存在は。

 

検索が無料であるコトに今や疑問を感じていないと思う。

でも何故無料なのか?って思わない?

google登場以前は様々な検索サービスがシノギを削りあっていたもの。

 

goo、yahoo、exite、msn、とかとか。

そのどれもが無料提供のサービスだった。

 

わたしは、何でこんなにも便利な仕組みが無料なのか当時ずっと不思議に思ってた。

 

既に色々のサービスを眼に見える形で展開しているgoogleを知った今では、検索サービスのシェアを圧倒的勝利で獲得すべき意味を理解できる。

 

ビッグデータと呼ばれる超巨大データ群の活用が産み出す莫大な恩恵や利益に、凡人のわたしでも気が付かされる程に、googleが様々なサービスを提供しまくってるし。

 

超巨大な数の人々がどんなコトに興味を持っていてどんなコトを検索しているかっていう総合データが解れば広告の有り様も変わるワケで、購買動機発掘の考え方がまるで違うものに刷新されてしまった。

 

googleの中の人頭良すぎか。

 

初手のサービスで利益回収を見込むビジネスモデルではもはやないのだから、基本的に莫大な資本力が必須条件となる。

 

最初の数年は利益ゼロでもヘッチャラ状態を維持出来なければ、肝心の利益化施策発動前に自滅するコトなるからね。

 

初手サービスの目的はとにかく普及、シェア獲得に絞られるコトが多いみたい。

シェア獲得できれば、良くも悪くも後から何とでもなる、ってコトなんだろうね。

 

実際、googleの検索システムはほぼ絶対的なシェアを獲得、そのコトを足掛かりにgmailgoogle+google翻訳、googleMap、とかの多彩なサービスを展開しまくり。

失敗もガンガンしてるけど、成功もガンガンする感じ?

 

シェア獲得の為には、先進的な技術を保有する会社ごと買っちゃったりもする。

今やyoutubeだってgoogleが買ったワケだけど、youtubeそのものももまた基本的に無料サービスの例だよね。

 

インターネットと無料サービスはもはや切っても切れない関係、というのは実は当たり前で、インターネットが実現してしまった時間や空間の圧縮に於いては、それまでの商取引きの概念が狭すぎて、制約になりこそすれ発展材料とはならなかったんでしょ。

 

サービスを提供して対価を得る。

 

こんな当たり前でシンプルな概念が覆されるなんて、誰が想像できただろうね。

 

フリーミアム、なんて言葉が一般的に使われるようになったのは最近のコトと感じるかも知れないけれど、概念そのものはもう20年近く一般的に享受されてきたってコト。

 

しかしまさかこんなサービスまで無料になるなんて、と思うコトがこの20年の間に幾度となく起こりまくりだった。

 

絵本の無料化で馬鹿にされたとかしないとかいうのってそんなに大事か?という意見がある。

確かにこれほどまでに基本無料サービスで溢れかえっているインターネット情報空間では、基本無料についての議論しても今更感強いと思う。

 

ここで論じる意味があるとすれば、気持ち的な話題かな。

その気持ちとはつまり、創造性のある行為や創作物に対しての価値観の感じ方。

 

どうにも人は、というか日本人は創造性が絡んだ何かの価値を数値化したり金銭変換するコトに大きな抵抗を感じるようなんだ。

それはある種のストイックさであろうし、とても文化的な発想だと思う。

わたしも比較的そういうケがある。

 

がしかし。

 

もうどうにもできない程に、無料のサービスは日常生活に食い込み過ぎた。

日々、無料サービスにどっぷり侵されているといっていいと思う。

 

検索、路線案内、ネイティヴアプリゲーム、ブラウザゲーム、PCオンラインゲーム、ネットオークション、天気案内、appstore、googlePlay、InstagramTwitterFacebookYoutubeニコニコ動画、LINE、SkypeEvernoteWikipedia、Pixiv、Dropboxはてな、…。

 
あったり前のコトを書くけど、これらのどのサービスも、莫大な設備投資が前提とされていて、誰も課金しなくても大勢の保守人員が毎日働き、彼等の労働対価が発生し、巨額のサーバ維持費が毎秒消費されている。

中にはそろそろ経営がヤバそうなサービスもあるけど、とにかく全てが基本無料であるってコトが共通した、ポピュラーなサービス群。

 

これらのサービスは有償で提供されたコトが一切なかったのか?

いえそんなコトはない。

類似サービスが有償提供されていた例はいくらでもある。

 

ただ基本無料にするコトができたサービスがそれらを駆逐し自分達が生き残ったんだ。

 

つーコトは勿論ながら駆逐されたサービスを提供していた会社は倒産したり買収されたりしていったのよね。

つまり淘汰され、職を失った人も大勢でた。

 

しかしながら、サービスそのものの需要が死んだ訳ではなかったのなら、一度は職を失った技術者達は再度雇用される機会に恵まれたりもする。

 

技術者達が循環する。

 

これ、アーティストと呼ばれる人達も実は同じじゃないかな。

勿論、絵本作家も、イラストレータも。

 

需要があるなら何度でも復活できると思うし、需要に合わせて自分のスキルや知識を拡充していくのは、フリーミアムとは無関係で当たり前の、必要最低限努力でしょ。

 

だから、無料化の波を今更怖がらなくてもいいんだよ。

 

むしろ怖がるべきは自分の提供出来る物が時代から見捨てられるコト。

それを看過するのか抗うのか、選ぶのはあなたって話だと思う。

 

創りたいだけなのになあ。

 

わたしは過去にそんなコトを何度も思った。

しかしながら、時代の要求や潮流に寄り添うのか抗うのかという課題は、何もデジタルの時代に発生したワケじゃなく、古来多くの画家や音楽家達がぶつかって葛藤してきた普遍的なテーマだと思うんだ。

 

また、今は有償のサービスしか存在しないとしても、それが今後も続くかといえば、正直判んない。

いやむしろ、ほぼ確実に無料化されるんじゃないかな。

昔は何万円もした固定電話回線が今では殆どタダみたいな存在になったかのように。

 

こんなの無料化なんてされないだろwwwと思っていたものが改変されている。

 

無料で配信・提供し圧倒的シェアを獲得しながら、プレミアサービス課金や石販売なんかの少額課金によるマネタイズが常に開発され続けているのは、もう誰でも知ってるじゃん。

 

よくいわれるコトでは、売上の80%はアクティブユーザの1%程度のユーザによってもたらされる、と。

 

勿論、サービスの種類によってこの視標は変わる。

でも、そんなもんなんだよ、お金を使う人の割合って。

 

超お金使わない。

 

だから巨大な分母が必要になる。

それが可能な環境はインターネットだった、ってだけのコトなんだろうね。

時間も空間も超越した新たな情報空間として。

 

取り敢えず、基本無料サービスのわたしなりの見え方を書いてみた。

エンタテインメントやアートのコトを書きたいのが本音で、今回はその前提でした。