駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

英語

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英語の話。

学校で教科として習った英語は、まったく好きになれなかった。

中学生の頃はまだ、大人に対する畏怖を持っていたわたしは、それでもやんなきゃなって思いながら、なんとか点数を稼いでいた。

 

それも高校生になるといよいよ我慢できなくなって本来的な学習の意義を放棄した。

本当に単なる点数稼ぎの対象になったってコト。

 

同じく高校生の頃には洋楽への興味が爆発していたというのに、英語に対する拒絶反応はどんどん強くなったんだよね。

 

これは同時に、英語の読み書きができる人に対する憧れを生み、コンプレックスとなった。

 

このコンプレックスについてはまた改めて書くとして、そんなわたしが最近英語が楽しいと感じる体験をしている。

 

それは、とある中国人女性とネットで知り合って、whatsappで拙い英語を使いながら会話するコト。

 

あるアプリをきっかけにわたし達は遭遇した。

そして、緩やかに緩やかに近づいた結果個人的なコミュニケーションを継続したいと思える状態になったんだ。

 

これはわたしにとって、大きな事件的意味を持つ。

 

母がこのコトを知ったらなんていうだろうか。

案外、今度はそんな興味を持ったのねハイハイ、と軽くあしらわれるかもしれない。

彼女、超動じない人なのよ、あ、それはまた書くとして。

 

とにかく。

 

わたしは産まれて初めて日本語を喋らない友人ができた。

これには結果的に見れば、幸せな偶然や環境が明らかに影響している。

だってわたし、彼女と知り合う直前まで、英語を自分が使う側になるなんて想像したコトもなかったもの。

友人がほしくてネットをウロついていたんじゃないもの。

 

重要な出来事は、いつどんな角度でやってくるかわからないものなんだなと思った。

わたしは自ら求めるコトをサボりがちな駄目人間だけど、絶妙の角度でやって来たターニングポイントを見逃すようなコトは、避けたい。

都合いいよね、我ながら。

 

いつか彼女に会うかもしれないし、会わないかもしれない。

今はそういう約束などしていない。

もしそんな機会があったとしたら、どうしてもプレゼントしたいCDがあって、昨日買ってきた。

自分でも持っているから2枚目。

わたしにとって特別なアルバムなんだ。

 

正直いって、このあるばむを手渡せなくたっていい。

もしかしたら、自分が変化したコトへの記念品になるかもしれない。

 

わたしは中学英語からやり直している。