駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

稼ぐコト

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はてなブログを始めてから、お金の話をよく見かけるようになった。

ブログのマネタイズについての話題なんだけどね。

その手法や結果報告などを公開している人のなんとなんと多いコトか。

わたしはマネタイズまで考えてこのブログを作ったワケではなかったのだけど、それなりの関心をもちながら眺めてた。

 

アフィリエイターっていう人たち(なんちゃっても含む)に対して、その活動や行為を疎ましく思う人がチラホラいるな、いやかなり多いなってコトも直ぐに気が付いた。

とりわけ、イケダハヤト氏に対するアンチは一種の流行のような状態にみえた。

まかれはアフィリエイトで稼いでいるワケじゃなく、ステージが根本的に違うわけなんだけど。

 

全然知らない世界観だったから新鮮。

また彼の周辺の人々に対するヘイトもぐんっぐん拡大している、ように見える。。

他人事ながらちょっとハラハラするレベルだった。

 

ところで、日本ではあからさまに突出した誰かに対して、妬み嫉みの感情を抱くコトは美しくないっていう教育、というか空気?が支配的な気がしている。

「品がない」と評価される、ともいい替えられるかもしれない。

そんな中で、成功者は慎ましく控えめで謙虚な姿勢を求められていて、そうするコトは美しいとされている、と思うんだよね。

わたし自身はまあそうありたいとうすぼんやり思っておりしかし、その根拠は何となくそう思うからだけであって、何か強い信念があるわけでもない。

 

信念とかねーし(←ひさしぶり)

 

躾によって身に付いた所作に一々疑問を持たない感覚と同じだね。

こういう何となく漂っている空気感から、勢い良く盛大に突き抜けよう、いやもう突き抜けているのがイケダハヤト氏なのではないかと思ったわけ。

 

美徳や慣習の中には本来の意味や様式が形骸化しているものも確かに多く存在していて、そこに疑問を持ち時代の要求に合わせ意図的に改良していくのは、意外に難しいものだと思う。

それをセルフプロデュースに取り込み話題性に転嫁するコトで収益性の向上につなげているのだとしたら、何と戦略的なコトだろうと思う。

日本人的振る舞いからの逸脱が勝手量産体制になっているのだとしたら。

売上報告や年商、年計、なんかを目にするのは基本的に法人格のものが一般的よね、株主に対する説明責任とかメンドウなやつよ、そうあれあれ。

それは資本主義的振る舞いを受け入れた日本が、「空気として許容出来る範囲内」だったんだろうと思う。

法人格には個人の存在が見えにくいから、日本的な慎みを犯すコトにもならなかったんでしょう。

 

でも個人のレベルで同じコトを行うのは日本人に向いていないのかもしれないね。

そりゃそうだ、正社員の価値がまだまだ高いわけだし、フリーランスに対する世間の白んだ視線はなかなかなくならないんだから。

 

資本主義という表現を用いたけど、欧米的価値観の話題かも。

 

商業活動がオンライン上に展開可能となった今、見なくて済んでいたものまで見るコトが増えたし、価値観の違いはより如実に比較出来るような環境になってしまった。

そんな環境を活用しようとしたら何が出来るのか?

もしかしてそんな問いの答えをイケダハヤト氏は試しているのではないかと空想。

あり得る話かなと思うんだけど、まあ妄想だな。

 

日本人的振る舞いからの逸脱を彼がオンライン上に投下するだけで、リアクション(肯定的であれ否定的であれ)が名も知らぬ他者によって量産される。

こんなに便利な話があるだろうか。

たとえそれが下品だと糾弾されようがなじられようが収益は拡大してるんじゃないかな。

実数はわからないのだけど、賛同者だってきっと拡大してるでしょう。

何のためにお金を稼ぐのか表明してる人、だよね彼。

 

そういえば、アーティストの村上隆氏が糾弾されていたのを思い出す。

彼の作家性、作品性についてはそれぞれの感覚で評価すればいいのだけど、作家のあり方に対する意見はイイなと思った記憶がある。

作家は作品を売って稼がなければ作品を作り続けるコトができないのだから、作り続ける為に稼ごうとするのは当たり前のの行為である、といった主張。

売れる絵を描く、のは悪いコト?

 

答えは自明。

 

「自分はこんな風に頑張ったからこれくらい稼いでいるので、君達ももしかしたらできるかもしれないから真似してみたら?で、そのために必要な情報は僕が売ってあげよう」

 

イケダハヤト氏の論調は概ねこんなだと思う、あ、あんまり突っ込ん追いかけてないから間違ってるかもだけど。

このスタンスが、とにかくヘイトを集めまくるの。

わたし自身、彼を知ったのはヘイト記事が余りに多かったからだ。

 

ヘイトをばら撒き間接的に彼のキャンペーンを拡散するコトに加担するのと、彼のコンテンツに直接課金してその内容を参考にしたり楽しんだりするのとでは、実は同じ目的達成のプロセスとして差異はないんじゃない?って思った。

むしろ、ヘイトばら撒き行為の方がセンセーションな文章になり易いでしょうから、長期的な効果を生む可能性が高いかもしれないよね。

 

この構造を客観視するにつけ、ウムムと唸らざるをえない。

 

さて、わたし自身はどう感じているかを最後に書いておく。

わたしはイケダハヤト氏について、かなりフラットな感覚で眺めてる。

彼を取り巻く環境や喧騒を野次馬根性の充足として楽しんではいるものの(←下品)、好きか嫌いかと問われるならば、まあ好きなんじゃないかな、といった感じ。

なんやねんそれズルいやんけとお怒り召されるな。

嫌いといえる程の情熱が沸き起こっていないのだから仕方ないでしょ。

 

ただ興味をそそられているコトは間違いないから、一度お話してみたいなとは思った。

日々執筆に忙しいイケダハヤト氏のコトだから誰とも知れないわたしなどに時間を割いてくれるとは思えない。

ただお話を聴いてみるとまた違った味わいのある人物なのではないかなという期待がある(もちろんやめときゃ良かったと感じる可能性もある)。

どの道実現しないので空想遊びは果てしなく続く。

 

いずれにせよ。

自分の名前と顔を公表しながら自分の主張を発信している以上、彼は自分の発言やコンテンツに対して責任を取っているというコトは評価しておきたいなと思った(←ウエメセってやつ)。