駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

天才

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天才秀才馬鹿の話、じゃない、天才の話。

わたしつい最近、オノミチ・アヴェンヂャーヅ(勝手に命名)っていうチームに参加したんだけど、そのチームメイトの方々を実は結構知らないのね。

 

 

知っている人、といってもまだまだ全然知らないのかもしれないし、もう結構知ってしまったのかもしれない。

でもまあそんなのは些細なコトで、好奇心を持てたのなら知ってみればいいじゃんってだけの話でしょ。

わたしはリアル生活では新しい人間関係に対して極度に腰が重たいのだけど、ネットの良さでもあるよね、こうちょっと軽い感じ。

こう書くと誰かの存在そのものを軽んじているように感じてしまわれるかもしれないけど、そういう意味じゃないの、解ってね。

とにかくそういう気分になれたものだから、オノミチ・アヴェンヂャーヅの人々のブログを徘徊し始めたんだ。

 

ただわたし、一度にたくさんの情報を入れると相対的に踏み込みとか理解が薄くなってしまうタイプなので、順を追って一人ずつ認識しようと思ってる。

リリさんという方のブログにお邪魔した、といっても初めてじゃなくて以前何度か覗いたコトはあって、入り口にさせてもらったわけ。

でやっとタイトルに戻ってくるんだけど「天才」の話を書いておられた。

 

 

天才ってなんじゃい?っていう話題は、私もかつて幾度となく格闘した問いだった。

自分が天才じゃないコトは10代の早い段階で知れてしまったのでとても残念な気分だったのだけど、この人は天才だなって思える人に実際に逢うまでは図々しくも、もしかしてワンチャンある?と薄ぼんやりした期待を隠し持っていた、いやお恥ずかしい限り。

でももう全然違うの、天才とか天才肌の人って、良いも悪いも含めて、プロセスを一気にすっとばせちゃう人がこの世界には実在するんだよね。

 

工程とか順序とか洗練とか、そういうのが無関係な世界に生きてる。

 

もう飛び道具的な存在なんだよね。

だからそうでない人間から見たら、全然理解なんてできない。

どうしてそう感じたのか、どうしてそんなコトができたのか、何故、何故、∞、全然理解できない。

これって裏返ると怖いよね、でも天才ってそういうコトだと私は思っている。

 

幸いわたしが知り合った天才たちは、悪人ではないようだったけれど、実際のところはコレもまたわからないな。

彼等の多くは、あまり努力をしないという共通点をもっていた、ううん、しないっていうかする必要がなかったといえばいいのか。

 

もうイキナリできるし、見えてるし、聴こえてるし、解ってるからね。

 

だからそういう人たちの近くで、努力をしなくてはならない人(わたしみたいな)が過ごすのは、とてもストレスが溜まる、というか虚無感を伴う。

わたしが何度も失敗して心が折れそうになってでもギリギリたまたま頑張るコトができてやっと成し遂げたコトを、彼らは鼻を掘りながらサラリンと終わらせたりする。

勿論彼らに悪気なんてあるはずもないが、それが余計に凡人の自尊心を傷つける、コトもある。

 

一方で、とんでもない努力の積み重ねで結果を勝ち取る人たちもいて、彼らのコトは便宜上「秀才」と呼ぶコトにしている、ホントに便宜上。

可能性という意味だけでいうなら、誰でも秀才になれるのだけど、実際はほぼ無理。

アビリティ「諦めない」が発動した彼らの粘り強さ、シツコさ、折れなさ、は常軌を逸している。

ある意味ではそんな能力を有している時点で天才と呼んでも良さそうなものだけど、努力量の差においてわたしは彼らを「天才」とは呼びたくないのだ。

 

世間的に「天才」と評する時のニュアンスはもっとどうしようもなくつまらない。

神>天才>凄い>普通>駄目>クズ、くらいの解像度じゃないかな、意外と合ってない?これ。

最近は何かといえば「神」扱いするコトが増えたようで、いよいよ神の価値も堕ちたなと思っちゃうよ、わたしなどは。

 

話はリリさんの記事に戻るんだけど、写実的な絵をどう評するか問題、というのはいつになってもなくならないのだから、そこには普遍的な疑問や羨望が存在しているのかも知れないね。

スーパーリアリズムなんて、1970年代くらいの話題だよ、どんだけその話好きなのって。

当時のアーティスト達が思考し試みていた芸術的行動とはとっくに乖離したスーパーリアリズムが、結果的によりデジタライズされた現在において再評価されるっていうのも、 なんだかアイロニックだなって思う。

 

誰もが安価に、ハイパーリアリスティックな3DCGをレンダリングできるようになったというのに、写真を克明に鉛筆で模写した作品が天才の称号を受ける、とかね。

 

わたしの言葉でいうなら、ハイパーリアリスティック模写は、秀才的な行為だと思う。

断然理解しやすいもの。