駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

逢い見ての後の心に比ぶれば昔は物を想わざりけり

f:id:sara_pezzini:20171210204046j:plain

ミチコが、あの異常なバネではてな内を飛び回っていたのは、わたしが知っている限り一ヶ月くらいの出来事だった。

もっと以前からそうだったのかも知れないけど、見えていたのはそんな程度の短い期間だった。

 

濃密な言葉のやりとりが人間関係のスタート時期にやってくるコトは、珍しくない、特にネット上では。

事実関係は別にして、ネット上で意気投合するケースはまるで熱病にかかったように相手のコトに夢中になったり全てが運命によって導かれた必然に思えたりして、そのコトを疑う気持ちなんて一切起こらない、みたいな感じ。

これはその関係の密度に関わらずそれなりに頻繁にあるコトで、そのまま延長線上の人間関係に踏み込んだ途端に、鮮やかさと彩りを失うなんてコトもまた、珍しくない。

 

勢い。

 

それが仮に一過性のものだったとしても、一向に構わないと思う。

少なくともキッカケにはなったのだし、0と1の差は絶大だと思うからね。

 

ミチコが残した、なんて書くと死んだみたいたけど実際見るコトができる作品は、17編の物語とその挿絵、サイドストーリーがいくつかとその挿絵。

これらの作品群にわたし達は心惹かれ、または心撃ち抜かれてミチコと言葉を交わした。

わたしは最初から猛烈にミチコに接近していったわけではなかったのだけど、やはり作品の魅力が関係を継続させた一番の要因だったと思う。

 

わたしにとっては、ブログという手段、というかメディアは、とても移ろい易きモノなんだよね。

どこまでいってもログでしかなく、もちろんソコに大きな感動が紛れ込んでいるコトは稀にあるけれど、やはり流れ行く存在だと感じている。

そういう意味で、ミチコがやろうとしている(していた?)発信の性質とブログとは、イマイチ相性が良くないような気がしていたんだ。

この情緒的で、掘り返す楽しみを内包した、しかしある部分ではひどく観念的で、読み手の能動性を強く求めるコトもある画文集は、ブログで発表するには違和感がある、と感じてた。

ブログ程度の情報量と消費スピードでは作品の世界観をフォローし切れないともいえるかな。

 

例えばweb小説などは、連載を前提として、作り手も読み手もある種の共通意識が既に存在していて、発表する場として選ばれるメディアやサービスも、ほぼ確定している。

小説家になろう」とか「カクヨム」あたりが有名で、その他多数。

これらの場所で連載されている作品群は連載100回を超えるものなどはザラで、書籍化を狙うとか読者数を獲得するとか、それぞれの目標を目指してシノギを削りあっている。

これはこれでいいとして、じゃあミチコの戦場をこういったメディアやサービスに求めるのは、やはり違和感を感じる。

ミチコの作品はやはり絵だからね。

文章も大事だけど絵の力がメインの武器だと思う。

 

ミチコの作品をwebで発表するならこういう形がいいな、と色々感じているんだけど、どこまでいっても代替案でしかない。

わたしたちが見ているミチコの絵は、あくまでも代替品なの。

写真に撮ったり、リサイズされたりしている時点で、確実に作品から抜け落ちたものがある。

 

わたしは、ミチコの絵は原画で見たい。

 

紙の上にどんな力で描かれたのか、紙はどの程度ヨレているのか、紙の情報だけでも画像ファイルになった途端に多くがスポイルされてしまう。

そしてもちろん、色が一番重要なんだけど、もはや単なる目安でしかない。

デジタル化した時点で階調は圧縮されるし、同じファイルでさえ見るデバイスによって簡単に変わる。

わたしが見ているミチコの赤は、誰かが見ているミチコの赤とは明らかに違う。

 

つまり、単なる目安。

 

だから、わたしはギャラリーで並べられた「ミチコオノ日記」の原画を見ないうちは、ミチコの作品を根本までしゃぶり尽くした気分にはなれない。

そういう意味で、ブログ上の「ミチコオノ日記」はミチコの作品において必須条件ではないんじゃないか、って思う。

ミチコの手元に残った数百枚の絵が全てだと思う。

誤解されそうだけど、ブログが無意味だといいたいんじゃない。

作品発表のリアルタイム性は、同時期を体感した人にしか感じるコトができない貴重な経験で、オンライン特有の醍醐味だよね。

ブログという発表形式を採用したコトで、そのリアルタイム性をより多くの人たちと共有できたメリットはたしかにあった。

直接作者に言葉を投げるコトができて、作者からの反応も得られたのだから、観る側からすればなかなかイイ環境だったといえるかな。

 

とはいえ繰り返しになるけど、わたし原画を観るまではミチコの作品を完全に感じ取れたとは思えない。

まあわたしが持っている勝手なこだわりなんだけどね。

 

もしこの先、ネット上からミチコオノ日記が消えるコトがあったとしても、 悲しまないで。

ブログがなくなっても作品が失われたわけじゃない。

 

あの、次の話を待ち望んで、ついにアップロードされたものをワクワクしながら読み進めた事実はもうなくならない。