駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

沈殿についてダラダラと文句を垂れる夜

f:id:sara_pezzini:20171212234021j:plain

会社はどんな場所かご存知?

 

わたしは知っているつもりでいたけど、知らなかった側面を最近でもまだ発見するコトが多い。

未だに発見があるなんて、会社とはなんと不可思議な存在なのかと驚嘆するコトしきりで、それは「わたしが正社員という立場で会社に関わった期間」が、まだ数年程度であるコトに起因する。

役員と社員とでは、同じ何かを認識するのにも、全く逆の視点から見える風景があったりして興味深いの。

例えば世間では普通に取り沙汰される、職場での人間関係の有り様についてでさえ、まるで違った世界観なんだよね。

わたしはかつて会社役員をしていた頃、職場で人間関係のトラブルを察知すると、よく渦中の社員に個人的なコミュニケーションをとったものだった。

どんな困ったコトが起こっているのか、または起こりそうなのか、または何も起こらなさそうだけど気分が晴れない理由が何かあるのか、などといった心の内を吐露してくれるコトを期待しつつ課題の解決や整理に奔走していた。

基本的に役員は時間の制約などないので、解決出来るまで無限に時間を使うのね。

全ての行動がよい結果に繋がったワケではなかったけど(残念ながら)そうやって共に闘う仲間同士の信頼関係を、何とかして築こうとしていたのは間違いなかったと思う。

 

その頃社員達が、わたしの行動や言動をどんな風に評していたかは当時も今も知らないし、興味もあまりない。

全員が全員、わたしのコトを大絶賛していたハズもないだろうなと思うので特にその部分のディテールを掘り下げようとは思わないんだよね。

 

知ると後悔する系、だと判ってるコトから目を背けるのに抵抗がないタイプなの。

 

少なくとも社員全員が幸せに近付けるといいなと感じながら働いていたので、幾らかでもその気持ちが伝わるコトは望んでいたのだけどね。

なんとも贅沢な望みだったな、と今は思う。 

何れにせよ、役員という立場は雇用する側の人間なので社員との距離がゼロになるコトはない(残念ながら?)。

目線の高さが同じになるコトもまずない、いや極々短い時間の間だけならギリギリあり得るか、な。

給与を払う側と貰う側では、言葉にし難い境界線が歴然と存在しているコトはわかるでしょ。

その境界線がありながらも信頼関係を構築するコトが不可能ではないと思っているので、然程悲観するコトでもない、と今でも思う。

 

そんな経験を十数年間積み上げた後で、今度は自分が社員という立場になった。

生まれて初めての賞与や社員旅行や有給休暇など、イベント性の高い出来事を喜んだりもした。

これらは解りやすい違いだしね、喜ぶコトが喜ばれる珍しいケース。

雇用してくれた社長とは10数年来の友人で、前職の会社を畳んだ際に「良かったらウチで組織作りの手伝いしてくんない?」とお声がけ頂いた。

 

感謝感激のゲリラ豪雨

 

特に次のコトを決めていなかったわたしは、この有難いお誘いを受け晴れて社員という立場になれた。

最近は概ね社員の皆さんの人となりや地雷が何処にあるかなどといったコトは理解できた、ような気がする、多分。

 

「そうか、社員という立場ではこうやって大人の距離感を丁寧に維持しながら『踏み込んで人間関係を深める相手』を慎重に選んでいくのだな」

 

前職でも他社の関係者、担当者さんとのやり取りなどはいくらでも経験していたので、大人距離の間合いはそれなりに認識できている、と思う、多分。

更にかつての役員経験もあって、概ね会社間の利害関係や先方企業の社内事情に対する理解、また自社内の懐事情など社員として業務に関わっているだけでは中々気づき難い道理を、察知するコトができてきる、ぽい。

 

社内の社員さんたちと会話すればする程そのコトがなんとなく解った、多分。

 

つまり、多くの社員はあまり会社のコトなど考えていないの。

自分の問題に関連する形で二次的に会社の未来について考えるコトはあっても、所詮他人が立ち上げた企業、さしたる思い入れもないんだなと感じるコトが多い。

まあそんなもんだよね、と思うようにしている。

わたしとて今や他人が作った企業の雇われ人に過ぎない。

会社の行く末を気にしてアレコレと思い悩む立場には、最早ない。

 

理屈ではそう理解していても、どうにも身体が勝手に動いてしまってよくない。

思い入れや立場の如何に関わらず、仕事において問題や課題を発見してそのまま放置するコトに大きな抵抗感があるらしい。

あくまでも仕事という分野での話に限られるのだけどね。

 

これも最近自覚した。

 

社員の多くは何か問題があると認識していても、あまりそのコトは取り沙汰しない。

むしろ隠蔽しようとする向きが強い、しかも無意識的に。

そして狭い範囲の呑み会などでその問題を指摘し、自分は以前からよくないと思っていただとか、あれはこのまま進めたら失敗すると思うがお手並み拝見しようと思っているだとか、驚く程しょうもない陰口に華が咲いたりする。

 

じゃお前がその問題を解決しなよ。

 

これもまた驚くべきコトなんだけど、誰もそんな風には突っ込まない。

共感し合っちゃってたりする、もう見てらんない、のである。

まあつまりは、問題の解決が主題なのではなく、誰かを貶める、または誰かへの不満を尤もらしく語る、のが目的なのよね。

 

ん。

ココはファンタジーの世界ですか?

 

人間は大人になったって、承認欲求にまみれたか弱き子羊なのだ、そうだそうに決まっている。

変に歳を重ねて知識が増えてしまった分、面倒臭い存在になっているだけなんだよね、とそんな風に考えて、あまりに幼稚な大人達の言動に心を掻き乱されないよう努める日々なのよ。

 

とにかく、会社の表面上の人間関係はその真なる姿ではないんだよね。

これはもう、明らかに異なる。

結局は糧を得るための行為として労働力を提供する場である会社は、必ずしも他人との利害が一致するとは限らない。

誰かの功績は、別の誰かのメリットとは限らない。

 

年の離れた異性の社員は、もはや宇宙人。

相互理解のチャンスなどあり得ないの。

わたしなどは、先輩は先輩らしく振る舞えばいいし尊敬されるような行動を示して欲しいなと感じるし、若手は若手らしくどんとん教えを乞い先輩から盗むように努めればいいのにな、などと当たり前のコトを感じてしまう。

 

ただ世間は当たり前ではないらしい。

 

まったくこの世は面倒臭いのである。

おじさん世代が持つ現場叩き上げのモーレツ社員至上主義は、まずもって若手には伝わらない。

 

まして女性にはカスリもしない(ほぼ空気)。

 

ガムシャラになって労働するコトの楽しさや達成感が存在しているにも関わらず、彼らはそのコトを語ろうとしないんだもの。

 

「推して知るべし」

 

それ、平成の世でそれは酷だよ。

平成生まれの多くが持つ、メリット・デメリットをまず考えてから行動する合理性至上主義もまた、まずもって老兵には伝わらない。

PDCAサイクルを考慮しながら労働する効率のよさが存在しているにも関わらず、彼らもまたそのコトを語ろうとしないからね。

まあ若手にはそもそも語る場がない、という別の問題もあるとは思うんだけど。

 

みいんなコミュ障だよね。

 

コミュニケーションを奨励する条例でも出やしないかとつい妄想してしまうほど。

誰かに何かを伝えるコトはかなりのカロリーを必要とするので、今では多くの人々がテキストによる簡易版コミュニケーションに逃げた結果、この有様だよまったく。

 

文章という極端に効率の悪いコミュニケーション手段を採用して、深い理解の到達など無視するというスタンスが一般化したのが、今の日本だと思う。

そして老兵たちはそのコトを黙殺している。

わたしは老兵側の人間。

ただ世代や性別を跨ぐだけで、様々なメリットが産まれる可能性があるコトをうっすら認識しているんだよ。

だから、日々のコミュニケーション不全を目にする度に、残念な気持ちに陥っているの。

 

わたしはただ1人であろうとも声を発している主には文句という形で、だけど。

声を上げぬまま沈殿腐敗するなど、ゴメンなの。