駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

平日に何を求めて生きているか

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仕事の話。

仕事なんてものは生きる糧を得るための単なる手段、と割り切って生きるのも悪くない。

わたしの知人友人の中にも早くからそうした方針で生きている人々もいる。

彼等が不幸せかといえばそうとは限らず、自分が選んだ道を進みながら仕事以外で得られる幸せを独自に持っていたりして、結構幸せそう。

それは家族との時間であったり、1人で楽しむ旅行であったり様々。

また、自分が好きな何かを生涯の仕事として選んだ人々も多くいて、わたしも比較的ソチラ側の人間。

ただしわたしの場合は、2番目に好きなコトを仕事にした感じなんだ。

1番は音楽で、若かかりし頃は音楽を仕事にしようとした時期もあったのだけど訳あって今の仕事に就いた。

わたしは、行為そのものが好きな仕事でなければ続けていける気がしなかった。

あと単純に、やりたくないコトを割り切って実行出来るほど大人ではなかった。

そういった意味で結果的に2番に好きだったコトを仕事に出来たのは、幸運としかいい様がない。

 

さて、わたしは就労の形態は色々を経験した後、数年前から会社員という立場で日々労働しているのだけど、この業界に関わり始めた頃から心根の部分はあまり変わっていない。

 

つまりは、承認欲求と自己満足を満たす為に働いているという動機の部分で。

 

この背反しこそすれなかなか共存させ難い2つの衝動があるからこそ、今でも飽きもせず同じ仕事を続けていられると思ってる有難や有難や。

世間では、サラリーマンの出世はコスパが悪いとか(誰目線なのよって思うのだけど)、非正規雇用によって搾取されているとか、とかく経営者と労働者の対立構造があるかのような表現、言及を見聞きする。

 

本当にそうなの?

ブルジョワとプロレタリアが現代に?

 

時代の先読みがより困難になった近代において、会社経営が安定幻想として成立しなくなったコトが大きな原因なのかなあなんて思う。

雇われる側が1番期待するモノを、企業が保証出来なくなっちゃったんだよね。

 

生き甲斐、とかやり甲斐とか。

 

安定感を手に入れられれば、まだ騙し騙し継続できたかもしれない経営者と被雇用者の関係は、よりドライでシビアな価値基準でしか対話ができない状態にまでなっちゃった感がある。

だから雇われる側は、 出世を喜べないんじゃないかな、と思う。

そうならそうで、最初から考えるコトはやはり二択のまんまだ。

 

生きる為の糧を得る手段として割り切るか。

苦しくても好きなコトを選ぶか。

 

時代をサヴァイヴするには、他人が流す本当か嘘かわかんない情報を集めてもさほどの意味はないと思うのよね。

その情報はあなた以外の誰かも手に入れているわけなので、しかもかなり多くの人々が。

 

じゃあ何を信じるのか?

 

自分の経験と直感しかないんだよ、残念ながら。

いや、残念とは限らないか。

しかし、未熟なうちは残念な結果を招くかもしれない。

それでも、その経験則はショートカットしたり何か別の手段で代替できるものではないので、結局経験値を積むコトになるよ。

 

それなら早い方が良くない?

 

仕事に求めるモノは自分で決定するしかない。

好きな行為でもそうでない行為でも、仕事は仕事。

若くても歳をとっていてもコレと決めた仕事が見つかるといいよね。

若者はどんどん失敗して、とっととプロになってねって思っている。