駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

やりたくないコトをやりたくない

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人なんて誰かのちょっとした振る舞いでいつ死んでしまうか判らないのだから、せめて楽しいと思える選択をし続けたい。

本能的に楽しいコトに惹かれて生きてきた。

それはつまり、嫌なコトやらない為に必死になった、って意味。

人がいう「嫌なコト」は大して嫌じゃないんだろうなと感じるのである。

「まあどっちかっていうと嫌だけど、死ぬほど嫌ってワケでもないYO」、多くの人は、そんな感じじゃないかな。

ソコソコの楽しみと程々の我慢の両方を受け入れるコトで生活が成り立つのであれば、苦労して現状を変えようとするのではなく、環境に甘んじて生きていく方が利口だ、という意見も理解は出来る。

 

がわたしはやや違う。

 

嫌なコトは、少しでもやりたくないの。

徹底的に排除したいと常々思っている。

勿論今までの人生経験において、その想いが100%達成されたコトなど1ミリ秒もない。

必死になってあれこれと工夫したり回避行動策を労して、辛うじてほんの少し嫌なコトを軽減出来たらいい方で、概ねのケースで状況は何にも、一欠片も、一瞬も、変わらない。

 

残念。

 

どこまでいっても、何をやり尽くしたとしても、目の前に広がる無限の可能性から脱却出来ないのなら、さて貴方はどうするか? 

勝ち目の無い戦いに無駄な労力を費やすのは嫌だとクールに悟る?

万に一つの可能性に賭けて何度損をして悲惨な目に会っても不屈の努力を続ける?

 

わたしはたまたま、本当にたまたま、嫌なコトがハッキリしていた。

逆に、やりたいコトはかなりぼんやりしていた。

あるにはあったけど、ハッキリクッキリ見えていたコトはあまりない。

しかし、嫌なコトはその時々で形を変えながらも、輪郭がハッキリクッキリ見えていた、気がする。

ハッキリしているコトは、行動の根拠になるもので、絶対にコレはやりたくないという想いを燃料にして必死に回避行動を取り続けた。

これ、実は結構人に勧めたい生き方なんだ。

世間の意識高い系の人々は、自分探しや色々の手段を使ってやりたいコトを見つける道を提示してくれるけど、やりたくないコトを具体化する方法などについて語ってくれているのかな。

いや、語っているかもしれないかな、しっかり追いかけたコトがないからこの認識は曖昧。

いずれにせよ、わたしは嫌だと感じるコトを徹底的に排除する生き方を続けた。

世間的には駄目人間と呼んで差し支えないと思う。

 

やりたくないコトは、どんな理由がくっついても、変わらずやりたくない。

わたしの行動原理はシンプルなんだ。