駄目人間は今日も

駄目人間鬱患者サラがいいたいコトを吐瀉する徒然エッセイ

白い朝の風景

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曲がり角を曲がった時だった。

いつもの朝の風景、学校に向かう途中の住宅街、通り過ぎる勤め人達、ゴミ置き場の近く小声で話す主婦の塊、はしゃぎながら走り去る小学生の男児達、塀の上から動こうとしない野良猫…。

全てがいつものように流れゆく時間、何の変哲もない朝のはずだった、あの曲がり角を曲がる迄は。

そこには高校の正門まで真っすぐに続く道がある、はずだった。

道の両側には文具店やパン屋が軒を連ね、朝の緩やかな喧騒を見送ってくれているはず、だった。

角を曲がり微かな違和感を感じたわたしはふと振り返りゆるやかに視線を流した。

何もない。

違和感など何もない、はずだ。

 

再び視線を目指す正門に戻そうとした時、やはり視界の端で鮮烈な違和感を感じ取ったわたしは、今度は瞬時に左手を振り返った。

 

そして彼女はソコに居た。

脚を組んで見えない椅子に座っているようだった。

わたしの右足は今彼女の右足爪先の上に立っていた。

わたしは知らぬ間に彼女の脚を踏みつけていた。

突然彼女の存在はわたしの空間に割り込んできた。

わたしは脊髄反射レベルの短時間で疑問を捨て去る。

彼女は大体いつでもわたしの身の回りに居た。

常に居た。

彼女は隠せていると思っていたようだが、わたしは全部知っていた。

でも眼に見える形で現れたのは実に3年半ぶりだった。

彼女は今またなにかを喋り出そうとしていた。


---

彼女との出逢いはかれこれ8年前になる。

彼女は9歳になったばかりのわたしの目の前に突然現れた。

まさに突然現れたのだ。

わたしが友達の麻里子とボール投げをして遊んでいた夕暮れの道路。

麻里子の暴投を追いかけて叢に踏み入った時、完全に視線を地面に落とし切っていたわたしの前に立っていた。

わたしは彼女の爪先から順に頭の先までゆっくりと見上げていった。

初めて彼女に逢った時、ゆるりとわたしの顔の覗きこんでこう言った。

 

潰したいやつを教えなよ。
潰してきてやるからさ。
アタシはお前の為にやってやるんだよ。
お前を楽にさせる為に。
さあ、教えなよ。
名前を口にするだけでいいんだからさ。

 
彼女は夕闇を引き連れて行進する者に見えた。

不自然に細く長い体は硬い金属のようであり、哀れに華奢な体のようでもあり、アンバランスさがなんだか気持ち悪かった。

躰の表面はヌルリと湿っているようで艶っぽかった。

白っぽい色は服なのか皮膚なのか良く判らない。

彼女の体の輪郭からミルク周りの空間に滲み出して、辺りを茫漠とした白紙に変えてしまうような気がした。

わたしはみるみる怖くなって、でもきっとこれは冗談だわたしをからかっているんだと空元気で強がろうとしたが、恐怖に怯えきったわたしは誰かに助けを求めずには居られなかった。

 

助けて麻里子!

 

その瞬間麻里子は、わたしの背後でギギギッと喉を鳴らした。

慌てて振り返ったわたしの目に写ったのは、地味な破裂音を発して吹き飛ぶ麻里子の頭だった。

頭を失った体は、まだ生きているみたいにゆっくりと跪きやがて不格好な形でうつ伏せに倒れて行った。

全てがスローモーションに見えた。

麻里子の頭は、小さなカケラさえ残っていなかった。

 

わたしはただ怖かったんだ。

どうして麻里子の名を呼んだ?

混乱したわたしの脳は、さっきまで遊んでいた級友の名前しか意識上に提示出来なかったのだろうか。

それともやはり、彼女の言葉は冗談だと高をくくっていたのだろうか。

彼女は表情を変えずにでもどこか嬉しそうな響きで言った。

 
な、出来たろ。
な。
な。
お前の為にやってやったろ。
お前は細かい事に向かい合い過ぎているんだよ。
気にするんじゃないよ。
アタシが名前を聴いてやる時には素直に教えなよ。
な。
な。
ついでに潰したヤツ、無かった事にしておいてやったからさ。

 

彼女は溶けるように滲んで消えた。

残されたのは麻里子の首から下だけだ。

辺りには潰れた苺みたいなものが散らばっていた。

脚と手が変な形に折れ曲がっていた。

彼女が消えた辺りに、探していたボールがあった。

 

麻里子が死んだ次の日から、誰も麻里子を知らない事になっていた。

麻里子のお母さんまで麻里子の事を知らないと言った。

あの首から下の躰は何処かに始末されたのだろうか。

彼女はそういう色々を都合よく自分の思う通りに出来るらしい事を、わたしは程なく理解し慣れていった。

それ以来、彼女は時々わたしの前に現れた。

そしてわたしが誰かの名前を呼ぶまで消えようとしなかった。

わたしはこれまで何度か自分の名前を呼ぼうとしたけど、出来なかった。

何度もそうしようと思ったのに駄目だった。

彼女が現われる度に、わたしの身の回りで誰かの頭が無くなった。

ただ彼女の言うように、頭をなくした人達はいつなかったことにされるのだった。

最初から居なかったかのような存在の消失。

 

彼女は気まぐれに現れた。

場所も時間も意に介さず好き勝手に振る舞った。

ある日は校長先生の頭の上に立っていた。

ある日は街を歩く女の人の首に噛みついていた。

彼女は本当に存在しているのだろうか。

わたしは自分の精神の正常を疑ったが、確かめようの無い事に気がついて直ぐに諦めた。

 

わたしは彼女の力を時々自分の意思で欲するようになっていた。

何か失敗したり思い出したくない心の傷を負ってしまった時、関係した誰かの名前を彼女に告げれば、存在を簡単に消し去ることが出来るのだから。

わたしは段々と彼女を便利に感じるようになっていった。

 

中学3年の時に好きになった男の子が居た。

密かに想いを募らせていたのだけど、わたしが大嫌いな不良の、恋人になっている事を知った。

それでも想いを伝えたくてわたしは告白する事を決意する。

聡明だと思っていたその男の子はわたしの告白を聴いてけたたましい声で一頻り大笑いした後で、耳を覆いたくなるような罵倒をわたしに浴びせた。

最後にわたしの顔に唾を吐きかけて死ねばと言った。

 

わたしの心は不思議と穏やかで、静かな湖面のように鋭利な冷たさと厳格さを保っていた。

彼女が現れるのをしばらく待つだけで良かった。

無かった事にしてしまえば、わたしの心も人格も誰にも犯されなかった事になるんだから。

わたしはわたしにしか使えない、素晴らしいリセットボタンを手に入れているんだから。

わたしはこれから先もずっと、辛い事や悲しい事を総て消し去りながら楽しい事や嬉しい事だけを自分の人生に残しながら、最高の人生を送っていけるのだから。

 

わたしは彼女をただ待ったが、ついに彼女は現れなかった。

彼女が現れる時はいつも突然だったけど、消える時はじんわりと滲むように消えた。

彼女が現れなくなってからの日々において、彼女の記憶はわたしの中からじんわりと滲んで消えていった。

彼女が現れなくなって1年も経った頃には彼女の事をすっかり忘れていた。

以来わたしは、誰かの頭が無くなるのを見なくなった。

 

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何故彼女はまた突然わたしの前に現れたのか。

馴れ馴れしく自分の力を誇示するような、癇に障る喋り口調で捲し立てる彼女ではもはやなかった。

彼女は落ちつき払った仕草と口調で、でも躰を小さく震わせながら途切れ途切れに喋りだした。

今にも消え入りそうな小さな声で。

 

すすすす救いた い やつやつやつやつやつやつやを 教えななななな よおおおぉぉぉぉぉぉおおお。
すすすす救ってきききき ててて やるか ら さ。
アアアアアタシ は おおおおおおお前 の為 ににににに やって ややや んだ よ。
お前 に 苦苦苦苦し みを 与え る為に。
さぁぁぁぁ、 教えな よ。
名 前を 口にす る だけけけけ でででで
いいんんんんんだ かかかからからからから さぁぁぁぁぁぁああああ。

 

わたしは迷わず自分の名前を口にした。

その瞬間彼女は、わたしの目の前でギギギッと喉を鳴らした。

わたしの目に写ったのは、地味な破裂音を発して吹き飛ぶ彼女の頭だった。

頭を失った体は、まだ生きているみたいにゆっくりと跪きやがて不格好な形でうつ伏せに倒れて行った。

全てがスローモーションに見えた。

 

ちょっと、なにボケっとしてんの、また遅れちゃうよおー。

 

不意に後ろからカバンで頭を叩かれた。

麻里子は、半分からかうような仕草でわたしを追い抜いて走っていく。

そうだわたし、学校へ行かなくては。

全く麻里子は、いつもわたしを少し馬鹿にしてるんだから、もう。

 

ええとなに考えていたんだっけ。

おかしいな、何か見たような気がしたんだけど。

何か今朝は調子がおかしい。

まいいや。つい詰まらない想像を巡らせてしまうのはわたしの悪い癖だ。

でもあれだな、麻里子ってあんなに背が高かったっけ。

 

まってよー麻里子ー!

 

わたしは足元に散らばっている、白くてぶよぶよしたへんなモノを避けながら、学校に向かって走りだした。

 

-了-