駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

無駄使い

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人は無駄遣いをする、何を?人生を。人によって価値観が違うから、何を無駄にした時に耐え難い喪失感を感じるか、って話は千差万別なんでしょう。

時間を大切にしたい、わたしがサラです。

時間の無駄の話

ただわたしは、「時間」を無駄にした時にいいようのない喪失感を感じる。これはもう、かなり大きな喪失感で気分が相当に落ち込む。

だから自分でコントロールできる範囲内では、自分の時間を可能な限り無駄にしないような生き方を望んでいる。これは何も、すべてをスケジューリングして秒単位で行動を決めきって生きるというような意味ではもちろんない。

物事を放置するコトによって本来必要のなかった手間が増えたりだとか、誰かの気まぐれで簡単に不必要になりえる作業だとか、事前に想定できる無駄を極力排して生きたいという欲求のコトね。

端的にいえば、金銭的な無駄を許容してでも、時間の無駄をなくしたい。

大きな意味でいえば金銭的な無駄もまた、「自分時間の無駄」の置き換えだとは思うけど、たまたま今のわたしは時間を切り売りするタイプの雇用形態ではないから、一旦はソコを無視できるんだよね。

前に進むためには結果的に無駄となる作業なんかも発生したり、しかしそれについてはわたしは無駄だとは思っていない。前進する上で必要だった、と思えるならね。

また効率的な結果を期待してとった行動が返って非効率な状態を作り出すコトも確かにあって、しかしそれは仕方のないコトだと思っている。物事は往々にして思った通りに進まないものだしね。

でも、自分の時間の価値を自分から下げるようなコトはしない方がいいなって、いつも思うんだ。

明日は来ないかもしれない

大袈裟に聴こえるかもしれないけれど、わたしは自分の時間よりも大事なものって他に思いつかないし、限りあるとわかっているのにその総量が解らないっていう部分に、そこはかとない恐怖を感じるんだ。

明日わたしは死なない、と断言できない。

このコトがわたしに仕事における効率を求めさせるし、自分の自由な時間を贅沢に使って楽しむ趣味は心から慈しむコトができるし、その時間に感謝できる。

刹那的に生きる方法を否定はしない。それもその人の選択だし、生き方を人に決められるコトほど不幸なコトはないって思うからね。

ただ単にわたしがその選択をしていないというだけの話で、人の選択に口を挟むつもりはない。

わたしは、明日が確実にやってくるとは思っていないのね。毎朝、ああ今日も始まってよかったなって思うし、毎晩、今日も終わったな、って思う。

そんなコトを幼い頃から考えていたはずはもちろんなく、大人になって酷く病んだ時にそう思うようになったんだ。

だから、わたしは時間だけは無駄遣いしないで生きていきたい。お金の無駄遣いなんて、大したコトないと思うんだよね。