駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

味覚変動

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食べ物の好き嫌いって、いつから構築されるのか。わたしが記憶に残る限り最初の好き嫌いは、食事嫌い、だ。

元も子もない話、幼い頃から食事自体が嫌いで、基本的に食べ物を食べたがらない子供だった、わたしがサラです。

お菓子の話

人形のことを書いていたのだけど、急遽内容を変更した文章を書いたよ。

幼い子供というのは、基本的に甘いモノが好きなのだそうだ。でもわたしは甘いモノは、しっかり嫌いだった。正確には甘過ぎるモノが嫌いだった。甘過ぎない甘いモノといえば、さつま芋とか果物くらいの感じ。

砂糖が大量に投入されたお菓子などは、全然嫌いで美味しいと思えなかった。そもそも我が家族においては、日常的にジュースやお菓子を食する機会がなかったんだよね。

親の方針だったのだろうけど、それは別にわたしとしては構わない。最初からそうだったから違和感を感じるコトはなかったし、甘いお菓子を食べたくて仕方ないのに与えてもらえない、という感じでもなかったから、苦しい記憶でもない。

食事嫌い

それはそれでいいとして、しかしわたしは食事そのものが嫌いだったのだから、毎日それなりに憂鬱を抱えていた。日に三度、ほぼ確実に食事イベントはやってくる。

この絶望感は、子供ながらかなり凹んだ。

嫌いな行為を毎日必ず通過しなくてはならない、しかもこの先生きている間は果てしなく。わたしは幼い頃既に「他人から見ればどうというコトのない行為でも人によっては酷く苦しかったり辛い気持ちになったりするコトがある」という事実を知っていた。

中でも特に嫌いなモノがあり、それは絶望の中に点在する暗黒に思えた。例えばピーマンがそれ。当時特に嫌いな暗黒食物は、口に入れるだけで吐き気に襲われた。

今思えば、本当に身体が拒絶していたんじゃないかなって思う。しかしながら食事を残すコトは許されなかったから、全部食べるまで食事は終わらなかった。

速く食べる子供

ただ、そんな過酷なシチュエーションを繰り返し経験すると子供でも頭を使うもので、どうせ苦しいならさっさと通り過ぎてしまった方が嫌な気分で過ごす時間は短くなる、という理解に至る。 

わたしがまだ、幼稚園の年長組の頃の記憶だ。

そんなわけで、食事はとにかく終わらせるコトを最優先に考えて、遊んだりお喋りしたりするコトなくさっさと終わらせる子供に、わたしは仕上がっていった。

嫌いなモノも目を瞑って一気に飲み込めば、体内に入れるコトはできた。

もちろんそんな行為が身体に良いわけないと思うんだけど、当時はそんなコトお構いナシだ。そうして小学生時代が過ぎ、中学生になっても、わたしは食事が嫌いのままだった。しかし身体は育ち盛り?というのか、つまりより多くの食物摂取を欲していたと思う。

しかしわたしはさほど食べなかった。

毎日、4時間目あたりになると、胸焼けがして気持ち悪くなり、お腹あたりが捩れるような感覚がして、酷く不快だった。当時わたしは、自分は何か病気にかかってしまったのかと怯えていたのだけど、後からあれは空腹だったのだと気がついた。

味覚変動到来

そんな食事嫌いなわたしが、中学生の頃に味覚の大きな変革を経験する。コレが世にいう味覚変動だ、もちろんいってるのはわたしだけなんだけど。この味覚変動はその落差が激しくて、それまで大っ嫌いだったものが大好物に、ある日突然転じるのだ。

最初はピーマンだった。

ある日突然、何故かピーマンを急に食べたくなった。母親に、今夜はピーマンの肉詰めを作って欲しいと頼んで大いに驚かれたのを覚えている。実際食べた時も、何故こんなにも美味しいものが今まで嫌いだったのか理解ができない、という感じだった。

そんな出来事が、わたしの人生ではこれまでに何度か起こっていて、その都度大っ嫌いだったものが大好物に変わっていった。例えばわたしは随分大人になるまでワサビが食べられなかったんだけど、ある日突然食べたくなった。

以来、ワサビを使う場面では「頭悪いなお前」といわれるほど、ワサビを投入する。和がらしを食べられるようになったのは、実は去年からだ。それまでは、嫌いというか、食べられないものだったのにね。わたしの身体は何かにつけて極端なのだ。

パクチー問題 

さて。わたしの大っ嫌いなものは随分減った。概ねなくなったというか、日常生活を送るうえでの不都合や不便は大体なくなった、といえそうな気がする。しかしまだ完全になくなったわけじゃない。 

その筆頭が、パクチーなのである。 

これまで味覚変動を経て大好きになった食べ物達と同様に、まったく食べられない、というか口に入れるコトができない。パクチーの場合は、匂いを感じるだけで吐き気に近い逆流感をもよおす。 

しかし、だからこそ味覚変動の対象たり得るともいえるんだよね。今はあの香草のコトを大好きになるなんて想像もできないけれど、それはこれまでの味覚変動実績が「大好物になる可能性があり得る」と語っている。 

いつか死ぬまでに、わたしはあのカメムシの匂いを放つ、噛むと石鹸を齧っているかのような不快感を感じる葉っぱを、食べたい食べたい大好き大好き、というようになるかも知れない。 

最後にヒトコト

味覚変動は、そういうものなのだ。 だからもし、食に関するコトで突然いっている内容が変貌したとしても驚かないで欲しい。何度目かの味覚変動が起こったのだな、と生暖かく見守っていただけたら幸いだ。