駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

逸脱した露出

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わたしは時々だけど、ネットに出没する。ブログとかツイートとかじゃなく、映像として。  

知人のニコ生に乱入してきた、わたしがサラです。

配信のハードル

最近はなんていうか、ネットで表現できる情報量が巨大よね。インターネット黎明期を辛うじて知っているわたしとしては、テキストベースのコミュニティや会話がネットそのものだと随分永い間感じていたけど、時代はとっくに動画。しかもライブ配信が無料かつお手軽に、誰でもできちゃう時代。 

お前今更ナニいってんのって思った? 

おっしゃる通りです、ええ、わかっています。生ヌシなんて遠い世界の人たちの話、自分には無関係だと思っていたわたしは情弱確定よね。 

ただ友人の中には、果敢にもそうしたライブ配信ポッドキャストみたいなネット・ラジオの世界に踏み込んで、オンラインの表現行動やコミュニケーションを楽しんでいる類もいる。  

そしてわたしは有難いコトに、彼ら彼女らに誘っていただけるのね、時々。最初はかなり警戒していたしただただ緊張していたのだけど、意外とあっさりその環境に慣れてしまった。  

流石に顔出しする以上は、リアルな情報は一切発信しない。関西弁と標準語の混ぜ込んでいるから、不思議な喋り方になっていると思う。だから、観ている人・聴いている人の誰一人として、今喋っているのが駄目人間サラだとは知らない(はず)。名前も違うし話題も全然違う(はず)。 

根底はもちろん同じだから、主義主張・趣味趣向似通っているのだろうけど、一般人が一人ネットに埋没した状態はもはや無と同義。 

この事実は個人特定の情報が少ない分、ブログでしか話せない話題だと思う。そういう意味では、ブログの方が上位の存在だ(だからナニというコトもないんだけどさ)。こういうコトって何もネット界隈でのみ起こるわけじゃないんと思うんだよね。 

ある集団では明かさない趣味の世界を実は持っている、みたいなのと同じ。ブログを書いている人の殆どが、家族や同僚などの身近な知人に必ずしもブログの存在を伝えていないのと同じで、人はよく日常的な世界からの逸脱を望みがちだ。 

わたしにしてみれば、日常からの逸脱手段としてブログがあり、ブログ界隈からの逸脱としてニコ生やネット・ラジオがあるわけで、二重構造になってる感じだなって思っている。

わたしはこうした逸脱行為を、多くの人に勧めたいと感じている。面倒だといわれたら、それはそうなんだけど、その行為を面倒だと感じる人には向いていないスタイルというだけのコトで、独立した世界観を二つ以上待つコトのエキサイティングな感覚は、言葉にし難い楽しみが溶け込んでいる。

隠蔽趣味があるわけじゃなく、独立した環境は好奇心充足の手助けとなる可能性があるような気がする。つまり、好奇心があるならば新たな世界を求めよ、というコトになるかな。

最後にヒトコト 

わたしはズルいので、自分で番組を持つといった責任や手間を回避した状態で、その環境を手に入れた。

時々は好き勝手なコトをおしゃべりしにいこうと思う。