駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

商売が上手い人

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この世には二通りの人種が存在する。

それは商売が上手い人とそうでない人だ。

先週2回の日帰り東京出張で今週まだヘロヘロの、わたしがサラです。

商売が上手い人のコト

商売が上手い下手で人間を分類するコトは、何故か人に嫌がられる。

わたしはいつも、なんで?って不思議に思う。

単なる性質の差異に関する話題であって、人間性の評価などではないのは勿論、仕事のデキるデキないの評価でさえないし、まして商売をしない人にとってはなんの意味も示さないというのに。

 

商売が上手いという言葉が暗に意味すると思われている内容はつまり、金儲けが上手いすなわち裕福である、転じて人生の成功者であるという拡大解釈なんじゃないかな。

 

わたしはそんな風には全然考えていない。

 

商売が上手くても裕福な生活を送っていない人は何人も知っているし、逆に商売が下手でも豊かな資金を得ている人も知っている。

また商売が上手でも二度と会話したくないような性格をしている人も、素晴らしい人格者の人もいる。

つまり、商売の上手下手は、それ単体の性質だと思うんだよね。

商売が上手い人の特徴

わたしが「この人は商売が上手いな」 と感じる人のコトを改めて考えてみた。

大体こんな感じの特徴があるなって思うんだ。

 

  1. 他人欲求に対する察知能力が高い
  2. 購買動機の造り方をいつも考えている
  3. 世間で売れているモノに対する好奇心が強い

どうかな、イメージしやすいかな。

もうちょっとだけ詳しく書いてみようと思う。

1.他人欲求に対する察知能力が高い

これはサービス精神という言葉で簡単に置き換えるコトもできる。

他人が何を望んでいるか、何を喜ぶか、という想像力の話だよね。

こういうコトを意識しながら生きていく中で、遂に無意識的にできるようになってしまった人たちが確かにいるいる。

 

商売の根本は誰かの欲求充足なのだから、ソコを無意識的に察知できるとしたら上手くいかないわけがない。

こういう想像って、身近な人のコトだったら比較的考えやすいんじゃないかなと思う。

親とか兄弟、付き合いの古い友人とか恋人とかね。

身近な人の欲求を想像するのは殆ど誰でもできるコトなので、その程度では商売上手とはいえないと思う。

 

見知らぬ誰かの欲求を察知できる人が一握り存在しているんだ。

彼らの想像力は凡愚のわたしなどが遠く及ばない境地に達していて、もはやロジックを理解するコトさえできない印象。

 

AIDMAとかの単語や意味は知っていても、生かせる局面を見抜く能力がなければ単なる知識に過ぎないんだよね。

2.購買動機の造り方をいつも考えている

コレも商売上手の人は、いつでも考えているなって思う。

どうやったら人は買いたくなるのか、っていう話題ね。

本当にいつでも考えている。

彼らの思考の根底にあるのは、人は必ずしも買いたいと思い続けてきたモノを買っているわけじゃないっていう発想だと思う。

 

ま、いかにも営業畑の人っぽい発想だとは思うけど、わたしとしてはある部分では納得できるなって思う。

100均ショップで無駄遣いした記憶は誰にでもあると思うしね。

 

もちろん、「欲しい」と思い続けていた感覚を刺激して購買につなげるのはごく自然だしそういうケースを取り逃さないコトが、売上拡大のベースだと思う。

でも多くの人々は、さして欲しくもないモノを確かに大量に買うし、ソコには少なからずのカタルシスや達成感があるのも間違いない、とも思う。

 

人は、自分が欲したと思いながら、実は巧みに導かれた購買動機発生のレールに、知らずに乗せられているコトだってある。

わたしはそういうレールを発見した時は、進んでのっかってみるコトにしているんだ。

意匠が潜んでいるレールに、好奇心を刺激されるんだよね。

のっかってみた結果、残念な気持ちになるコトももちろんあるんだけど、気が付いた自分の目を信じて評価してみたくなる。

 

ま、大抵はそんなレールの存在に気が付けていないんだろうけどね。

3.世間で売れているモノに対する好奇心が強い

異常なまでの好奇心を目にする。

ジャンルやセグメントを軽々と飛び越えて、売れているもの=世間の人々が興味を持っているコト、に対して無限の好奇心を遠慮なく表現する人。

売れているものが素晴らしいモノかくだらないモノかは、彼らの興味の方向にはないみたいなんだよね。

 

人の興味はどうしてこのシロモノに向けられているのか、どうしてそういう人が多いのか、という疑問に対して「いつでもどこでも通用する同じ答え」はないと思うんだ。

でもだからこそ、好奇の眼差しを向けるに足るんだろうか、ね。

 

結果として「売れる」という成果が待ってはいるけれど、人の心がナニかに突き動かされる様は確かに何故だかエキサイティングで、人の心を動かすコトができた時のコトを想像するだけでも、ソワソワするような心地よさが沸き起こる、少なくともわたしは。

 

ソワソワするし、そうなるコトはどちらかといえば好きなの、でもわたしは大して踏み込まない、いや踏み込めない。

コミュ障を自認しているわたしなので、そりゃそうだって話なんだけどね。

 

わたしの根源的な性質はソレを望んでいないってコトなんだと思う、ソレを楽しめたり踏み込むコトに積極的になれたとしたら、きっと楽しいんだろうね、とは思うかな。

いや、やっぱりわかんない。

最後にヒトコト

わたしの身の回りに何人かいる、「この人は商売が上手だな」って思う人のコトを書いてみた。

彼らは仕事仲間であり尊敬できる、いや尊敬はしてなかった間違った、とにかく仕事仲間なので大事にはしている。

 

ただ自分と全く性質の違う人との仕事は、楽しさもあるけど疲れる。

プラスもあればマイナスもあるもんだね。