駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

200記事目をむかえた、わたしがサラです

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200記事も書いてたのか、って思う。

元々ゴールを設定した行為ではなかったけど、わたしにとってそういうコトはとても希で、ゴール設定から入るタイプの、わたしがサラです。

200記事を書いてきたコトをテーマに何か書こうと思った。

思ったけど、改めて振り返ってみると、ただ内発的な感情や意識を言語化してきたに過ぎず、おおきな達成感を感じているかというとそうでもない。

1,000記事書いたら遥々来たなあなんて感じるのだろうか。

いや、1,000程度では感じない気もする、となると10,000記事か。

2017年08月30日の記事が最初で半年くらいで200だから、2年半で1,000記事、てことは25年で10,000記事か。

たしかに25年続けたら達成感あるかもね、10,000記事書けた時にはお祝いしたいな。

単純な数量が意味を持つコトは確かにあるけど、極端に小さいか大きい数字でないと大した差異ではないと思うんだよね。

もちろん、何に達成感を感じナニを目標にするのかは個人の勝手だし、誰かが達成感を感じているそばでそのコトを貶めたい気持ちなんてないんだよ、あくまでわたし自身の内面で自然に感じる感情の話題。

 

わたしはこれまで何かを継続的に実行するのがあまり得意ではなかった。

習い事は10年が限界だったし恋愛も10年が限界だった。

たったの10年だ。

仕事はありがたいコトに同じ職種で10年以上続けているけれど、これはわたし一人の力で成し遂げているコトでは全然なく、ただただ感謝するのみ、本当にありがたい。

わたしは自分の手が届く範囲、自分はコントロールできる範囲の出来事を、意図して10年程度しか続けられていない。

10歳くらいで自我が目覚めていたとしたら、仮に80歳まで生きるとして、10年以上何かに打ち込むのは、少なくとも7回のチャンスがあるといえると思うんだよね。

同時にいくつものナニかに情熱を注ぐコトは出来るかもしれないけれど、その時の全精力をつぎ込むとするなら10年以上続けれるのが最大7回程度。

この7回の内にもっと永く続けられるものを見つけられたら最高だと思うし、わたしは達成感を感じられるような気がする。

 

まずは定期報告として100回毎には同じテーマで文章を書いてみようかな。

10,000回への足跡として。