駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

ディベイト

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ディベート。

わたしとしてはディベイトと書きたい派だ。

コンピュータ、サーバ、ユーザ、プランナ、プローデューサ、とか、最後に「ー」をつけるかつけないか問題については、日々表記揺れの荒波に抗うわたし、いや違ったその件を書こうとしたんじゃなかった、あぶないあぶない。

一人遊びが大好きな、わたしがサラです。

ディベイトという言葉を知ったのは中学生の頃。

学校で習った単語ではなかったけど誰だったか歳上の男の人に教わった気がする。

単なる討論というよりもむしろ、競技的なイメージが色濃い概念だ、という説明を受けた。

当時からわたしは争うコトが嫌いだったから、第一印象は悪かったのを覚えている。

争うコトというか、競うコトが嫌いというか、若い頃は特に苦手だった。

今になって自己分析すると、負けるのが怖かったんだろうなと思う。

負けるくらいなら戦わない、嫌われるくらいなら好きにならない、失うくらいなら望まない、というメンタリティだったんだよね、まあ生きる力弱い系よね、よくいたよくいた。

 

いずれにせよディベイトなる行為は、わたしが死ぬまで無縁だなと思っていた。

が、それは高校生の頃にあっさり覆る。

授業でディベイトの機会があり、わたしは不本意ながら連勝してしまったのね。

正直いえば、楽勝だった、というかみんな戦う気あるの?って感じていた。

高校生の頃既にわたしは冷めた人格だったので大して喜びもしなかったし、楽勝だと思っているから達成感も感じていなかった。

 

やなヤツ。

 

大雑把にいって、高校生のわたしはやなヤツだったと思う。

過去形でいっちゃうあたりがわたしの図太さであり厚かましさだ。

ともかく、わたしは記憶に残る限り、オフィシャルな討論で打ち負かされた経験がない。

ただ、これは自慢できるコトでもなんでもなく、先輩にあたる人や書籍から、勝ち方のテンプレートをたまたま知らされていただけのコトだ。

いわれた通り、読んだ通りにヤってみたら、本当にそうだった、というだけのコト。

高々その程度の差でしかないのに、まあまあ賞賛され持ち上げられたりする。

なんて簡単なんだこの世界は、と当時高校生活以上の社会生活を経験していないわたしは、偉そうにも感じていたものだった。

 

青い青い。

 

わたしは達成感を感じられないコトに興味を持てない。

結果的に、男性でも女性でも自分がいいなと感じた人とのコミュニケーションにしか興味を持てなくなり、わたしの人生における暗黒時代へと突入していくのであった。

人との会話やコミュニケーションに対してどんどん興味を失っていった。

暗黒時代の話は、またいずれ書くかもね。