駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

仕事で泣く

f:id:sara_pezzini:20180315010742j:image大人になってから仕事に費やす時間が極端に増え、かけた時間だけを見れば、まるで仕事のために生きているかのよう。

仕事のために生きているのではない、と声を大にしていいたい系人類なのに、仕事のために生きていると思われがちで超不本意な、わたしがサラです。

仕事を軽んじるコトは、わたしには考えられない、お金もらっているからね。

お金もらわないと、送りたい生活が送れなくなるからね。

 

わたしは「こういう生活をしたい」というイメージがそれなりに明確で、可能な限りそのイメージを達成して生きていきたいと思っている。

これまでも基本的にそう。

AをするためにはBが必須なら、Bの効率や質を向上させたい、と感じる。

 

さてわたしは日々、仕事において色々の人たちと関わっている。

とても残念な気分ではある。

なぜならわたしはリアル生活において、可能な限り独りで過ごしたいと思っているからだ。

その欲求を満たすコトと、雇われ人となって給与受給するメリットを天秤にかけて、後者を選んだ。

だから仕事を軽んじるコトはない。

軽んじるコトはなくても、残念な気持ちもなくならないんだから、未練がましいなと思う。

 

そんなわたしは、仕事において必要以上に自分の感情を混在させないコトにしている。

プロとしての必要品質を満たそうとした場合に、わたしは感情を乗っけない時ほどその達成率が上がる。

気持ちを乗せてドライヴするコトももちろんあるけれど、そうした時の総合的な打率はあまり高くないというコトを経験的に知ったんだよね。

 

そのコトが影響して、だと思うんだけど、わたしは仕事に厳しいといわれがちだ。

また、仕事をしている時に1番怖い人ともいわれる。

それはわたしが意図しているコトではないけれど、特に不都合もないので否定も肯定もしていない。

仮にわたしがそうではなかったとして、訂正し説明するコトで仕事の質がグンと上がったり士気が格段に向上すると思えたら、やるかもしれない。

ただ今のところは、そう見えるんならそうなんでしょうよ、というくらいのスタンスにしている。

 

そんなわたしも、いわゆる新人教育を仰せつかるコトがある。

採用して採った後の面倒も見てくれ、というコトね。

だから真剣に採用してね、と。

わたしはいつだって真剣ですよ、と思いながらも口には出さない。

 

去年の春、わたしは1人の女子社員を採用した。

 

もうすぐ1年が経つ彼女の社員教育も、一旦の終りを迎えようとしている。

そんな彼女が今日、仕事場で初めて泣いた。

理由は、デキない自分が情けなくて、悔しくて泣いたのだそうだ。

会議室に響く彼女の押し殺した嗚咽。

 

客観的にいえば、彼女が仮にデキなくても大筋で問題のない課題だったので、何度か経験しながら上手になってもらえたらいいな、と感じていた。

つまり、泣くほどのコトではなかった。

 

でも、彼女は涙を流すほど仕事に対して真摯な気持ちを持っている、とわたしは解釈した。

そのコトがわかったから、それはそれでよかったな、と思った。

泣けるくらい、仕事に対して真剣になるの、悪くないよね。

 

わたしは仕事で泣いたコトは一度もない。

でもだから、身体がおかしくなったのかもしれないな、と思った。