駄目人間は今日も

鬱病を持っている駄目人間サラが吐瀉する徒然エッセイ

今日は大丈夫

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今日は、かなり意識を集中して、乗り換えを間違わなかった。

地味なコトだけど、わたしは自分に安心した。

まさかそんなコトで安心するとは思ってなかった、わたしがサラです。

今日は朝から病院に行ってきた。

馴染みの(←)心療内科に立ち寄ってから出勤したというわけ。

わたしが通っている医院はこれまでで三つ目になる。

二つ目だけは先生とノリ合わなくて(←)すぐにやめちゃったのだけど、今の先生はなかなかいい。

 

関西弁のジェントルマンだ。

 

たぶんお歳は50代半ばだと思う。

声が小さめ、ゆっくりと喋る方で、低い声はおおらかな安心感が感じられる。

先生はいつもうっすら微笑みながら「調子はどないですか」とおっしゃる。

わたしは1ヶ月の間に起こった由無し事を思い出しながらぼんやり喋る。

「ええと、アレは確か……」と思い出す時も、ただ微笑んで待っていてくれる。

 

話の内容は日々の生活のコト、仕事のコト、趣味のコト、世間話、と多岐に渡る。

こんなコトがあってわたしは酷く腹立たしかったという話、楽しみにしていた映画をやっと観に行けて素晴らしい内容に感動したという話、テレビを観ていたら泣いてしまった話(プリキュアだったとはいわない)、怒りを感じるコトがしんどいという話、などなど。

 

先生はほとんど相槌を打つだけなのだけど、たまに興味をお持ちになった話題に質問をなさる。

そして最後は必ず「へえ、それは大したもんですなあ」と感心してわたしを褒めてくださる。

わたしは心の中で、えへへと照れ笑いする。

わたしもすっかりいい大人なので、なかなか面と向かって誰かに褒めてもらえるコトが少ないんだよね。

誰かをただただ褒めるっていう職業があってもいいんじゃないかなって思う。

あ、心療内科医はそれも担っているのかな。

先生とお話すると、わたしも誰かを褒めたくなるのだから不思議だ。

褒めるのって、褒める側も褒められる側と同じかそれ以上に照れくさいと思う。

相手の目を見ながらその人のコトを褒めるなんて、わたしにできるのだろうかいやできない恥ずかしい逃げたいやめてきゃー。

 

でもだから、褒められるのは嬉しいのかな。

恥ずかしさの共有は、人間関係醸造のうえで、大きな効果があるのはなんとなく知っている。

褒めるという行為は、その1バリエーションなのかもしれないな、なんて思った。

 

今日は褒めてもらえたから大丈夫。